- 4月1日(月)花田ゆういちろうのオールナイトニッポン0(土曜)を提案したい
- 4月2日(火)子連れで免許更新
- 4月3日(水)罪悪感なんて捨てろ
- 4月5日(木)諦めると叶う説
- 4月5日(金)正義感という暴力
- 4月6日(土)ふつうは奇跡
- 4月7日(日)「時間」という誕生日プレゼント
4月1日(月)花田ゆういちろうのオールナイトニッポン0(土曜)を提案したい
一時保育の日。
先週できなかったことを片っ端から片付けていく。
そして打ち合わせと通院。
娘の看病をしているうちに風邪をもらうことは多々あり、今回も例に漏れなかった。
緑色の鼻水と鼻詰まりは解消しつつあるが、咳が止まらない。
2月に娘からもらった風邪が原因で、気管支喘息になっていると診断を受けた。
とはいえ現代医学はすばらしく、もらった吸入薬ですっかりよくなっていたので、自分の身体にそういう癖ができていることを忘れていた。油断した。
老体に入ったヒビは、金継ぎしてもすぐ外れてしまうんだなあ……。
2歳だとまだまだしがみついてくるし、マスク外してくるし、風呂は一緒に入るし、感染対策とは無縁の日々を送らざるをえない。
世の親たちはどうやって子の風邪から自分を守っているんだろう。
横になると咳が止まらず、ろくに眠れない。
4月でEテレの番組たちもいろいろリニューアル。
「おかいつ」はおにいさんおねえさんたちの単独コーナーが始まり、Twitterも大いに盛り上がっていた。
「ゆういちろうが素の声で笑ってた」という投稿を見てから録画分を観たのだけれど、確かにいつもより低めの声で、ふつうのどこにでもいる兄さんの声で笑っているのが聴こえ、ちょっとときめいてしまう。
私はゆういちろう早く卒業して派である。
朝の顔として拝み続けたいというのはあるけれど、それよりももっといろんな場で見たい気持ちが勝る。
あの笑い声を聴いて、「花田ゆういちろうのオールナイトニッポン0(土曜日)」は卒業後のマスト企画だなと思った。
4月2日(火)子連れで免許更新
今週の貴重な晴れの日ということで公園に。
去年は娘がまだ歩けず、公園で遊ばせられる初の春。
— やまま(娘は2歳1か月) (@yamama48) April 2, 2024
こんなにも保育園児がいっぱいとは…
園庭のない保育園も多いし、我々は気軽に場所変更もできるわけで、空気を読みました。
もう少し大きくなると、負けずに一緒に遊べるんだろうな。
相手も幼いので仕方ないけど、娘が邪魔者扱いされると凹む😭
桜が咲き始めていたので、別の公園で昼ご飯を食べさせる。
ピクニックだと喜んでくれたのでよかった。
今日も咳で眠れていない。眠い。
一緒に昼寝するつもりで横になるも、こういうときに限って全然眠れない。
ババアの身体は本当に使えない。
せっかくならと家事をしていたら、娘の昼寝時間が終わってしまった。ああ〜!
その後は運転免許の更新へ。ゴールド。
近所の警察で、ビデオ講習ふくめ1時間ほどで完了してしまう。
電話で問い合わせたところ子連れOKとのことだったので、厚かましくも娘と参加することにした。
パトカーおよびピーポくんが好きな娘。
警察のなかにピーポくん人形等あればよろこぶかなと思ったのだけれど、免許更新は別の建物で行うことになっていて、残念ながらチラシの隅っこにプリントされているピーポくんくらいしかお目にかかれず。
受付の最中、係の方が「お子さんに」とくださったのは、ぬりえと色鉛筆。貸出ではなくプレゼントである。
けっこうちゃんとしていて、色鉛筆なんて「赤紫」という色が収録されているほどのクオリティ。子どもにこの色の良さがわかるかは不明。
去り際に「プレゼントありがとう」と言えた娘、サイコゥ!サイコゥ!!!
帰宅して、夕食をとらせ、お風呂までの間に便秘の坐薬をギュッと入れ、効くまでに歯を磨き、効いたところで風呂に連れていきお尻クリンナップ。
職務経歴書に書いたところでスルーされるだろうけれど、この2年間で腕を磨いてきたワンオペ技術である。
夜は寝かしつけになかなか応じてくれないわ、私も咳が止まらないわで地獄だった。
4月3日(水)罪悪感なんて捨てろ
一時保育の日。
今日は幼稚園生のお子さんたちばかり(幼稚園はまだ春休みのため、働くお母さんたちは一時保育を利用)とのこと。
保育室に入るとお兄さんお姉さんがおり、娘は大喜び。
興奮しながらめちゃくちゃ喋りかけているのだけれど、話しかけられた側は「なんて言ってんの?」と苦笑いしている。
もしかしたら邪険にされてしまうかもなあ、今日の一時保育はさみしい想いをするかもしれないなあ、などと不安になりながら部屋を後にした。
それで夕方に迎えに行ってみれば、娘はおおいに受け入れられていた。
帰り支度をしつつ、幼稚園生たちに「何言ってんのかわかんなかったでしょ?付き合ってくれてありがとね」と声をかけると、「娘ちゃん、ちゃんと話せてたよ!」と言ってくれるではないか。
しかも「娘ちゃんと次はいつ会える?」などと言いながら送り出してくれ、ちょっと泣きそうになりながら帰路についた。
罪悪感を持たないことって、なんてすばらしいんだろうなあ。
私が娘の立場に立たされたら、兄姉たちの「何言ってんの?」だけで「話が伝わらない自分に非がある」と罪悪感を持ち、彼らの遊びを邪魔しないように、離れてひとりで過ごすと思う。
その点、娘には罪悪感がない。
だからなんと言われようともグイグイいく。
「一緒に遊びたい!」「仲良くしたい!」という気持ちを曲げずにまっすぐ伝えていく。
結果受け入れられているのだから、兄姉たちの言葉は字面のまんまの趣旨であり、他意はなかったということだろう。
「何を言っているのかわかる・わからない」と、「一緒に遊ぶ・遊ばない」は別の話である。
成長するにつれ、こと日本社会では、慎ましく、謙虚にすることをよしとされる。
「謙譲語」を「自分がへりくだることで相手を立てる言葉」などと説明するように、とにかく「自分など大したものではないと思うべきだ」と教わることが多かった。
これは「罪悪感」にもつながりやすいと思う。
少なくとも私は、なにかと「自分はたいした人間ではない→常に自分に非があるのではないか」と思ってしまうクセができた。
指をさされることを恐れ、とにかく自分に非がある状態を避けるべく、本心を曲げる。
周りを見て「みんなもやっているから」で行動する。
こんな親いやだ。
間違えること、誰かを傷つけること、生きていたらたくさんある。ゼロは無理。
そんなときも罪悪感ではなく「失敗だった、間違いだった」と受け止め、リカバリーに努められる人が素敵だと思う。
罪悪感を持ったところで、それだけでは何も解決なんてしないのだ。
私も遅ればせながらそこを目指していきたい。
娘には、変な心のクセを持たずにまっすぐにそうなってほしい。
4月5日(木)諦めると叶う説
くもりだったので、朝一番で支援センターへ。
久々に広い空間でたくさんのおもちゃで遊べて、娘も楽しそうだった。
ランチルームで昼食を取らせ、その後はベビーカーで散歩。
そのうちに昼寝するだろうから、私もどこかで休憩したい……と思っていたのに計画倒れ。
さすがに私が歩き疲れてしまい、一旦帰宅することにした。
そんな決意をしたら、家までの道中で娘が昼寝。私の婚活と同じ展開。
(婚活を諦めたらよい出会いがありました)
昼寝明け、このまま自宅遊びだと夜眠らないだろうなあと思い、近所の公園につれていくことにした。
先に遊んでいた親子の姿を発見すると、娘は大喜びで駆け出し、「いっしょにあそぼー」と猛烈アプローチ。
この人懐こさ、本当に誰に似たんだろう。尊敬する。
帰りは、移動中に使っていた手押しスクーターのネジがどこかに落ちたようで、座面が突然ぐらつき始めて大慌て。
スクーターを担ぎ、娘の手を引き、なんとか一時帰宅したらすぐにベビーカーで再出発。
もと来た道を注意深く観察しながらウロウロ……。
幸いものすごく大きなネジだったので発見でき、スクーターは見事元通り。よかった。
※このスクーター使ってる人、気をつけてください(娘は超お気に入り)
4月5日(金)正義感という暴力
一時保育の日。
パソコン仕事しつつ自分のブログ(こっちの方)をチェックしたら、いつもの平均アクセス数の倍になっている。
こういうときはロクなことがない。無名の一般子育て主婦の記事がアクセスされるときなんて、叩かれているときくらいしかない。
▼この記事です
公開処刑場ことXで「マタ旅 こんにゃく」と検索したらすぐにわかった。
私と同じように、産前旅行(マタ旅)で刺し身の代わりにこんにゃくが出てきてプンプン!という投稿をした人が大炎上しているのだった。
ブログのアクセス数UPは飛び火の影響である。
叩かれている理由は「高齢出産(40代らしい)で33週でマタ旅とか馬鹿なのでは?」が大半である。
ほか、「保養所で安く泊まらせてもらっているのに何を求めているんだ」というものもあり、まあとにかく、本当に公開処刑場だなあと思う。
自戒も込めて書くが、たしかに産前旅行は褒められた行為ではない。
なにかがあれば旅先でも多大な迷惑がかかるし、なにより赤ん坊が危険にさらされる。
「おまえ1人の身体ではないんだ、責任感を持て」である。
でも「よってたかってそこまで叩かなくたって」とも思う。
Twitter、一時が万事そうである。
みんなが吊し上げていると「祭り」状態になる。みんながワッショイワッショイ言っているなかでなら「ワッショイ」と恥じずに言える。
声を出すとストレス発散になる。
SNSにせよブログにせよ、いつどこでどういうふうに吊るし上げられてしまうかわからない。
もし自分がそういう立場になってしまったら、間違いは間違いと受け止めつつも、リカバリーに努められる要素があるならそこに注力して、罪悪感に飲まれないようにしたい。
法に触れることをしているわけではないならば、ワッショイ神輿が眼の前から去っていくのをじっと待つのもいいと思う。
小さい子供といると、ちょっとうまく喋れただけで、くるくる回っただけで、歌っただけで、ぐちゃぐちゃの丸を描いただけで、全部「すごいね!」につながるから、いい。
赤の他人も「すごいね!いいね!」と言ってくれる。
大人になっても、「そんなことすべきじゃない」「恥を知れ」じゃなくて、ちょっとしたことに「すごいね!いいね!」のほうの声が大きくなるといいのにな。自らやっていかねば。
4月6日(土)ふつうは奇跡
午前中は英語教室、午後は両親が家に来た。
娘はとにかくずっと楽しそうで、本当に人好きなんだなあと思う。
いろいろな小さい公園で遊ばせた。
桜がいたるところできれいに見えてよかった。
せっかくなので夫に寿司を買ってきてもらい、みんなで自宅で食事。
自分の暮らしを普通と思っていると、こんな日も「ただの1日」として処理してしまう。
でも同じ子育て仲間の中には、子どもの個性の力が強くて、のんびり桜を愛でることもできない世帯が、そう少なくない数、存在する。
「ふつうに花見をしている家族が羨ましい」という、たぶんXにしかこぼせない本音をちらほら見かけた。
彼らにしてみれば私の「ただの1日」は奇跡の1日に違いない。そのありがたさは頭の片隅に常に入れておきたい。
そして私にとっても、本当は「ただの1日」なんかじゃなく、奇跡の1日だったのだと思う。
自分のキャリア人生はうまくいかず後悔ばかりだけれど、よい家族に出会えたことは、なにものにも代えがたい価値がある。
4月7日(日)「時間」という誕生日プレゼント
私の誕生日プレゼントとして、夫が娘を連れて終日出かけてくれるとのこと。
花見とのことなので、娘用に、冷凍食品まみれの弁当を作って(?)持たせる。
プレゼントされた「時間」を満喫するべく、じっくり整体を受けて自分を労った。
その後は飯田橋で友人とお茶。
お祝いにとビールをおごってもらい、とてもしあわせ。
友人が使っている骨伝導イヤホンを試させてもらい、欲しくなる。
外の音をまったく遮断せずに音声を聴けるので、娘の公園遊びに付き合いつつラジオを聴くのに最適。夫にねだってメルカリで買おう。