母になっても言いたいことやまやまです

ブログ「言いたいことやまやまです」著者のやままが母になってからの日常を綴ります

2023年8月第5週/1歳6か月

 

8月28日(月)おしゃれできない日々を憂うより「いましかこんな生活は送れない」と楽しみたい

久々に一時保育の日。

1週間、娘の看病ほか、私はよくがんばった。

保育園に送り届けた足でスーパーに寄り、発泡酒(糖質0)とマグロのカマ、安売りの切り昆布、安売りの山海漬を買って帰り、祝杯ブランチを食べることにした。

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午後に打ち合わせが控えていたが、こればかりはガマンできなかった。

本当にがんばったのよ。夜フラッと飲みに行くこともできないのよ。缶ビール1杯くらい許してよ。

 

午後は打ち合わせと、カウンセリング。

先々週は泥のなかで暮らしているかのようなひどい気分だったが、先週からの娘の看病対応で、夫のことなどで悩む余裕もなかった。

そして「疲れているとメンタルがやられる族なので、整体と休息への投資は惜しまない」方針を明確にできたタイミングでもあった。

なのでそれほど悩みごとがない状態でカウンセリングに臨むことに。

「応急手当」が不必要なぶん、悩みの根っこの部分をじっくり考えることができた。

日々を安らかに過ごすため、「自他を攻撃しないこと」にチャレンジしようという話に。「怒らない」ではなく「攻撃しない」。

できるかなあ。できなくてもやってみないことには自分が変わらないので、がんばらなくては。

 

帰宅したら、先週初めて行った整骨院から通院を促す手書きのハガキが届いていた。

手書きといっても、デザイン自体はフォーマット化されていて、吹き出し部分に手書きメッセージを書く仕様になっている。

印刷されている部分のテキストが「本気で治療します」のような内容(捨ててしまったのでおぼろげ、でも絶対に「本気で」と書いてあった)。

本当に本気を出してくれるのだろうと信じるけれど、それでも、たったの1度しか会ったことがない人間に軽々しく「本気」などと言ってはいけないよ、「一生のお願い」レベルで薄っぺらく感じてしまうよ……と、思った。

かく言う私はすぐに「ホントに」と言う。

偉そうなことを言える立場にない。

 

 

「ガマン」ではなく「いまはそういう時期」と思えるようになりたい。

ネガティブにならずに「あきらめる」をしたい。

子どもが大きくなって、毎日働く日々が来たとしたらば、クライアントと会うときにTシャツジーンズというわけにはいかないし、すっぴんは目も当てられなくなるのだから。

 

 

8月29日(火)できなくてもいいじゃん

幼児教室の日。

12時からスタートという過酷なスケジュールであるため、朝10時から開館する支援センターに一番乗りし、1時間遊んで、併設されているランチルームで11時から昼食を取らせ、11時40分ごろから移動。

モバイルモバイル言いながらせかせか過ごす三木谷社長と一緒に過ごすより、遥かに楽……と思えばなんとかなる。

(情熱大陸かなんかで三木谷社長に密着している様子を見て「サポートする人たち超大変だな」と思ったのよ、三木谷さんに限ったことじゃないんだけどさ)

 

幼児教室では、カラフルな積み木を積み重ねて遊んだのち、色ごとにわけてしまうというレッスンがあった。

娘はいつのまにか積み木を高く重ねるのが得意に!

1歳半検診では「積み木を2つ重ねられるかどうか」というチェック項目があるのだけれど、なんだよこれ、余裕じゃないか!!

 

感動したのもつかの間、すぐ片付けの時間。

積み木の色ごとに片付けるようにとの指令が下るも、娘は「色別に」というのができない。

私は「一箇所に集める」ができるだけで十分だと思うし、本人もそれ以上のことに意欲を持っていない様子なのだけれど、

「お母さんが色を見せて、片付けて、お手本を見せてあげてください!」

とのこと。

やっぱりなんだかモヤモヤする。

 

先週まで観てくれていたセサミストリートの動画を観てくれなくなった。

サムネが出るだけで大泣きされる。怖いらしい。

 

8月30日(水)「さつまいもの饗宴!究極のスイートバトル!」

別の幼児教室の体験レッスンの日。

モンテッソーリ教育に軸足を置いたもののようで、個人で教室を開講されている。

個人教室というと低価格なイメージだったのだが、前述の幼児教室と単価は同じ。

 

娘は終始、モンテッソーリ教具(おもちゃ)に夢中。

夢中になっているあいだは見守っていてよく、次のプログラムに無理やり進まされないのは居心地が良かった。先生もおだやか。

なにより、授業時間が13時半からなのがよい。12時からって無謀よ、さすがに。

 

もうこれは転校だな! と決意して、現在通っている幼児教室に電話して、退会の旨を伝える。

理由を問われたので「12時からは昼食と昼寝の時間だから無理」と正直に答えたところ、「14時からの枠、作ります!!」との折り返し電話。

ちょうど少し低月齢のお子さんが入会されるとのことで、その方と一緒のクラスであればと。

14時というのは13時半以上にめちゃくちゃに好都合で、それならばと継続することにしてしまった。私、ちょろいな……。

 

帰りにスーパーに寄ったら、さつまいもが1本99円だった。安い。

芋だけにホクホク顔でいくつも手に取っていたら、白髪のマダムがそっと近寄ってきて「それ、天ぷらにでもするんですか?」と問いかけられた。

「いやあ、(ホットクックで)茹でるだけですね」と返せば「ああ、そう……」と言い残して去っていく。

瞬時に私は考えた。

きっとマダムはこう言いたかったのだ、「99円の安い芋の味なんてたかが知れている、天ぷらにして油の旨味を吸収してやっと食べられる状態になるシロモノだ、おまえはそれがわかっているのか?」と。

それを「ただ茹でるだけ」などと!

海原雄山なら高笑いしてくれるのだろうが、私は士郎ではなかったし、マダムはマダムだった。残念そうに去ることしかできなかったのだろう。

 

ホットクックの「丸ごと芋ゆでモード」で茹でたが、無味だった。

たった99円でガチャのドキドキ感を体験できるうえ、もれなく食物繊維をプレゼントしてもらえるんだから十分だろ。

……と、私の心の中の山岡士郎が言っている。

 

ちなみに今日の日記のタイトルは、チャットGPTに

「「さつまいも」という単語を使って、アニメ「美味しんぼ」のエピソードタイトルのような言葉をつくってください」

とオーダーした結果である。

 

8月31日(木)娘が「じょうず」とほめてくれるから

娘、一時保育の日。

帰宅後すぐ打ち合わせ、昼はどこかに食べに行こうかとも思ったが、やれる仕事はやっておいてしまいたい。

子どもはいつどこでなにをするかわからないのだ。

ゆっくり作業に没頭できる時間は未来のいつ訪れるかわからない。

Googleカレンダーにどれだけ「ブロック」と入力したところで、子どもはその防御を平気で突破してくる。

たしかなのは「今日、17時まではひとりタイム」ということ(但し急な呼び出しが発生する可能性はアリ)。

というわけで今日のうちにできることをすべてやっておくことにした。

お迎え時間ギリギリになってしまったが、ちょうどひと区切りというところまで進められて満足。

 

迎えに行ってからの記憶がほぼない。

この日記は翌日の金曜日に書いているが、やはり翌日になるとなにも覚えていないなと改めて。

 

そういえば娘は、なにかうまくいくのを見かけると「じょうず」と言うのがブームのようである。

私もよく褒められる。自分自身のことも四六時中ほめている。水を飲んだだけで「じょうず」と自画自賛。

世の中がこうであればいい。そのまえに私自身がこうであればいいんだろうな。

 

私は娘がおバカさんになろうが、不登校児になろうが、自己受容力が高い人間になってくれるなら、ほかはどうだっていいと思っている。

そのためにも、私自身が何事にも「私、じょうず」の気持ちで臨み、背中を見せていくことが大事なんだろう。

 

9月1日(金)子どもといるのはこんなに疲れるのに、週5日あずけるのは惜しくって

午前中は隣接する自治体のひろばで子どもを遊ばせる。

娘、とにかく口が達者で社交的なのはわかっていたけれど、初見の年上男児の隣に座って頭を撫で、こちらが先方の親御さんに「わー、すいません!」などと謝っているのを横目に、「抱っこぅ」と言いながらハグまでかますとは、たまげた。

私にその積極性があったら、港区女子にでもなれたのかもしれないなあ。

 

午後はベビーシッターさんに来てもらい、溜まった家事や事務手続きなど。

2歳から通えるインターナショナルプリスクールの資料を取り寄せていたのだけれど、想像以上に高くて、私の体重が3kg落ちた。1分後に元に戻った。

2歳は週3日からと書かれていて、下手に英語教室に行ったり、100万円もするディズニー英語システムを購入するよりもよほど勉強になるだろうと思ったのだけれど、いやあ、まいった。

国の補助制度などをチェックすると、週5で通わせたほうが安上がりだと判明。なんそれ。

私がZAZYだったらこの気持ちをネタにできるのに!

 

「ならば週5で預けてみるか?」

しかしその問いに、私の心が嫌だと叫んでいる。

娘のことが大好きなのは大大大前提として、毎日ずっと一緒にいることにすっかり疲弊しているんだから、好都合であるはずなのに。

平日すべてをプリスクールに預けてしまうことが惜しくてたまらない。

何歳になってもかわいいと思うのだろうけど、それでも、こんなにかわいいのは今だけ。

 

「アンパンマン」と言えなくて、なぜか「アンパンチ」と技名で呼ぶのは今だけ。

おならの絵本で笑い転げるのは今だけ。

ほっぺをくっつけても受け入れてくれるのは今だけ。

おむつのなかのクサ~イうんちを処理できるのも今だけ。

 

9月2日(土)ママ友飲み会

夕方から近所のお母さんたちと飲みに行く約束の日。

そのぶん、朝から夕方までは夫のフリータイムとなった。

夜を全部任せるのだから仕方ないのだけど、どうしてこう、「ずるい」という気持ち、悔しい気持ちが湧いてしまうのだろう。

 

夕方は近所のビストロで満喫。

なんと5時間くらい過ごしてしまった。

でも3時間が経過したくらいのところから、なんとなく疲れ始めてしまった。

「ひとりでゆっくりする時間もほしい」という気分。

でもどのママも大好きで、この日を逃すともうしばらくはじっくり話せないんだよなと思うと、さみしくて帰れなかった。

 

帰宅してすぐ風呂、娘が起きたので授乳など(飲酒時間から3時間はあいていますのでね、ご心配なく)。

そうか、もう通常営業は始まってしまったんだ、と思う。

もうちょっと休みたい。

休めば遊べないし、遊べば休めない。

 

9月3日(日)義実家への帰省が決まった

午前中は買い出し。

夫に娘対応を依頼。公園で合流。

 

帰宅後に蕎麦を茹でて昼食。

ホットクックで茹でるのがあまりに楽。

 

午後は0歳OKのコンサートに行く。

割と前の方の席だったものの、娘はトークタイムのたびに大暴れ。

娘は楽器全般大好きで、リトミックに行くとピアノから離れないようなことも多々あるのだけれど、それとコンサートとは別物だなと思った。

 

子どもの情操教育にいいのかもしれないけれど、じっとして聴け、音楽を楽しめ、というのは親の押しつけ、わがままなのだろう。

もうちょっと大きくなるまでは、しばらくコンサートは行かなくていいかなと思った。

もっと、自分自身が楽器に触れて、鳴らせるようなもののほうが合う時期なのだろう。

 

この夏は暑すぎて「どうしても無理」と夫に泣きを入れてしまった「義実家帰省」。

秋についに実行されることが決まった。

遠方なので数泊することになる。

ホテルで……と希望するも、夫との話し合い(というかケンカ)の末、ご実家に泊まらせていただくということで決着。

日々の娘の姿を見ているだけに、不安でたまらない。

電源コードの類は大丈夫か? 引き出し、扉の類は? 食事させられる場所はあるのか?

 

「どうしてホテル泊にさせてくれないんだろう」「そのくらい譲ってくれたっていいじゃないか」という気持ちが渦巻いていた。いまだってそうだ。

でも、嫌なことを考えていたってしょうがない。

相手や環境を変えることはできない。

それならば自分が変わらなければ。

それは「相手に合わせる」という変わり方ではなく、「やりたいこと」を盛り込んでいくという変わり方だ。

 

失礼かも云々……というのは、この際極力考えないようにする。

たとえばいま思っているのは、洗濯は、私が散歩を兼ねて全員分をコインランドリーに持っていくとか。

慣れない台所で料理したくないので、自宅のホットクックを持っていくとか。

ま、とりあえずがんばります。

 

今週読んだ本

あらいぴろよさんの漫画、イラストが好きなので。

柴田愛子さんの教えはサバサバしていて、いい意味であきらめさせてくれて元気が出る。