- 10月16日(月)ヌック管水腫 手術レポート ~鼠径ヘルニアもあったよ~
- 10月17日(火)手術後の夜の恐怖
- 10月18日(水)こんなに痛いのに退院とは
- 10月19日(木)使い物にならない
- 10月20日(金)なぜ今回の手術は「お産より辛かった」のか
- 10月21日(土)術後5日目、子ども対応再開
- 10月22日(日)術後療養、終了
10月16日(月)ヌック管水腫 手術レポート ~鼠径ヘルニアもあったよ~
ヌック管手術当日。
全身麻酔のため前日から絶食中。
朝5時半ごろに最後のビッグウェーブ💩に乗り、6時半ごろ体温、血圧測定。そのままもう点滴。
— やまま(娘は1歳8か月) (@yamama48) October 15, 2023
術後はけっこう痛いそう。
「術前は『お産の痛みよりは…』ってみなさんおっしゃるんですけど、割と痛がってて…」と看護師さん。
それを聞いて!私は!どうすればいい!!😭#ヌック管水腫入院日記 pic.twitter.com/aEkSjZ38gl
手術は14時予定だったが結局15時に。
手術室に入ると私の想像上のエド・シーランの曲(洋楽わからない)が。
和やかにいろいろ説明されながら手術台に乗っかるも、先生方が穏やかな雰囲気なので恐怖感なし。こういう体験記で披露されがちなおもしろエピソードもなし。
麻酔科の先生にマスクをかぶせてもらい、だんだん意識薄れますからねと言われてしばらくしたら、術後だった。
部屋に運ばれている最中のよう。何時間経ったんだ? 下腹部の鈍痛がじわじわくる。喉のイガイガした感じは全身麻酔によるものか。
暗い自室に戻ってきて、バタバタといろいろ準備され、主治医から「やっぱり鼠径ヘルニアもあったから、腹腔鏡だけじゃ無理で、前も5cmくらい切りました。きれいにとれましたよ!」とのこと。
ホッとしたはいいが、全身麻酔のせいでめちゃくちゃ気持ち悪い。そして患部がどんどん痛くなる。
加えての悲劇は、娘からもらった風邪が治りきっていなかったこと。
痰絡みの咳がずっと続いていて、大したことなかったので気にしていなかったのだけれど、咳をしようにも痛すぎて咳ができない。
足は血栓防止のためのポンプ、腕には点滴、胸には心電図、そして酸素マスク。
暑い、痛い、気持ち悪い、地獄すぎる。
看護師さんにスマホと充電器、イヤホンを取ってもらい、ポッドキャストを聴いて心を落ち着けようと試みる。時間は19時だった。
簡単な手術だと聞いていたけれど、そんなにかかるもんなのか。
というか、まだ19時! 朝が遠すぎる。
とにかく暑くてつらいので布団を脱がせてもらい、氷枕をもらう。
ポッドキャストを聴いているうちに少しウトウトして、目覚めたら21時ごろ。
まだまだだ。再び聴いて、23時ごろ。遠い、朝が遠すぎる。
そんなことを何度か繰り返した。これが本当の「長い夜」。
10月17日(火)手術後の夜の恐怖
足のマッサージポンプやっと外れました。
— やまま(娘は1歳8か月) (@yamama48) October 17, 2023
心電図、尿管カテーテルもまもなく。
寝たきりで暑くて、痛みで満足に寝返りもできないので、リハビリが待ち遠しいレベルになっています。#ヌック管水腫入院日記
夜中~明け方はとにかく痰が辛く、ナースコールで看護師さんを呼び出してはうがいをさせてもらった。水は朝まで飲めない。
ずっと同じ姿勢で背中や腰も痛い。
その旨も伝えると、寝返りは打っていいと言ってくれたのだが痛くてそれもできない。
という旨も遠慮なく伝えると、抱きまくらを持ってきてくれた。
いまいちラクにならないなあ、と思いながらポッドキャストを聴いて眠ることを繰り返した。
とにかくしんどくて、不安で、看護師さんが来てくれるたびにうれしかった。みんな忙しいからすぐに帰っちゃうんだけど。
やっと迎えた朝の達成感たるや。朝日とともにロッキーのテーマが流れている気がする。
朝一番の体温、血圧、血中酸素測定。正常だそう。
看護師さんが口をゆすぐものを持ってきてくれたので、そのまま歯磨きをする。
朝ごはんにジュース、味噌汁、重湯。
全身麻酔の影響かまだ少し気持ちが悪く、ジュースは飲めたものの、重湯はぎりぎり、味噌汁は無理だった。痛み止めと痰切りの薬を飲む。
その後回診。
外科の先生複数名が登場し、傷口をさらりとチェック。
「大丈夫ですね、もう少ししたら身軽になりますので、リハビリ始めてくださいね」
とのこと。
尿管カテーテルが入っているにもかかわらず膀胱も張っている感じがして、一刻も早く逃げ出したかった。
観ようと思っていた映画等々はあったのに、しんどすぎてまったく観る気が起きない。
身の回りについているものが外れたのは朝10時前。
身体を拭いて、着替える。
全身麻酔後は感覚がわからないなどというから、おむつをしたほうがいいんじゃないかくらいに思っていたのだけれど、看護師さん曰く
「逆です、出ないんです。おむつはいりませんよ!」
とのこと。
昨日15時ごろから寝たきりだったのだ。しかも腹を切られている。
ビビリながらちょっとずつ動くも、そこここに「痛っ」のタイミングが忍ばされていてきつい。
リハビリも兼ねてトイレに行ってみることに。
出ないと言われていたものの、膀胱の張る感覚が強い。
いつものように少し力を入れたら何の苦労もなく出た。
しかも、「行きたかったのに行けなくて溜めていたときのロングバージョン」で出た。正常すぎる。看護師さんに報告。
せっかくならフロアをぐるっと歩いてみましょうとのこと。
自力で歩きたいのに、痛すぎて背中を伸ばせない。
点滴用の棒を杖代わりにして歩かせてもらうことにした。
早く治すにはとにかく食べて、動くことが大事なのだという。寝たきりだと癒着などのリスクもあるらしい。そのためにも、痛み止めはためらわずに飲むべし(あくまで処方されている範囲で)。
なるほど、いざ動くと、どういうことをすると痛いのか、どこまでなら大丈夫なのかというのが実感としてわかる。
その後もひとりで売店に行ってみたり、フロアをぐるっと回ったりした。
外科病棟ということもあって、がん患者さんも多くいる(と思う)。無菌室が並ぶエリアもあった。
看護師さんは親切だし、院内はきれいだけれど、何日も、何週間も、何ヶ月もここにいるのは辛すぎる。
たった4日間、しかも身動きが取れなかったのは1日だけだけれど、その間の心細さ、人恋しさといったらなかった。あれが何日も続くなんてたまらない。
お昼ごはんはなんと白身魚を揚げたものが登場。こういうの大好き!
なのだけれど、吐き気が勝ってしまい漬物と味噌汁だけなんとか食べる。くやしい。この1食に460円かかっているのに。
午後はまた院内を歩いたり、昼寝をしたり、痰がらみの咳と格闘したりして過ごす。
夕飯はエビの炒めものだった。エビ大好き。今日最高じゃないか。ごはんは残すものの、おかずは全部食べられた。
次なる恐怖はうんちである。それだけの腹圧をかけられるのか、痛みが心配。
そしてこの調子で明日退院し、帰宅できるのか。
さらには1時間強の道のりの果てにある、療養先の実家にたどり着けるのか(しかも子連れ)。
早く治ってほしいので、焼け石に水だろうと思いつつも早めに寝た。
10月18日(水)こんなに痛いのに退院とは
結局明け方に目が覚めてしまい、オールナイトニッポンを聴くことにした。
あのちゃんの日で、つけたとたんにVIVANTのテーマソングが流れてきてビビる。
ノゴーン・ベキならぬ「ベッキー」がゲストだった。
話の内容はほとんど覚えていないけれど、ベッキーが帰った後にあのちゃんが「すごいネガティブだったね」と言ったことだけは心に刻まれている。
6時台に体温、血圧、酸素量が測られ、8時に朝食、8時半すぎに回診。
傷口を覆っているものを剥がすとのことだったのだが、力いっぱい剥がされたせいか血が出てしまい、再び大きな絆創膏をぺたん。
シャワーは今日からOKと聞き、退院前にシャワー室を借りることに。お湯が沁みるようなことはなくて安心したが、血は滲んでいた。当面は「汚れても良いタオル」を使うようにしたほうがいい。
慌ただしく支度をして退院準備をしようとするも、なんと、着てきたスカートが履けない。腹部が痛くてボタンがしめられないのだ。
急遽夫に迎えに来てもらう(といっても自家用車などはないのでバスの付き添いなのだが)ことに。わずかな距離でも、歩くのがきつい。
自宅で子どもの世話をしながら療養というのはあまりに難しそうで、実家から母に来てもらい、娘を保育園に迎えに行ってもらった上で、夫を残して実家に帰省することにした。
ちなみに娘は私と再会したところで目立ったリアクションはなく、いつものように「かちゃん!(母ちゃん)」と呼ばれただけだった。
ズボンがどれもこれも痛くて着られない(腹腔鏡手術の傷跡とボタンの固いところが擦れると痛い)ので、結局ジャージで帰ることに。
道中1時間強。家から駅まで、10分足らずの道のりなのにとんでもなく遠く感じられた。
電車はいつものとおり、ベビーカーが乗ったところでベビーカースペースをすぐに空けてくれることはない。
臆せず「ベビーカースペース使わせてください」と依頼。
みんな気づいていないだけで(というのもすごいけれど、スマホに集中していれば仕方ない)快く譲ってくれるので問題ない。これはもうすっかり慣れた。
問題は私である。ベビーカーは母に任せるとして、私も座りたい。
が、妊婦でもないしヘルプマークをつけるような疾患があるわけでもないし、大きな声で「おととい手術しましてね!」なんて言うわけにはいかないし……と思っていたら、優先席にかけていた男性が「座ってください!」と声をかけてくださった。
めちゃくちゃうれしかったけれど、なぜ彼に私の気持ちが伝わったのだろう。心を読める人? もっともっとお礼を言いたかった。
なんとかかんとか、途中でしゃがみこんだりしながらも無事に帰宅。
食事したい気持ちはいっぱいだが腹痛に見舞われるため、少しつまむ程度で終了。
娘の入浴と食事の介助は両親に依頼した。
実家が遠いと本当に大変だと思う。シッターさんを頼んだところで、泊まってもらえるわけでもないし。
あと、小さい兄弟がいる場合も厳しかっただろうと思う。
保育園の送り迎え方法、食材のストック場所など、きちんと共有できるように準備しておくのは大事だなと思った入院の日々である。
そういえば肝心の会計は、事前に高額医療費における「限度額適用認定証」を提示していても17万円強かかった(夫ががんばって稼いでいるがゆえに、高くついている)。
ちなみに病院の空き部屋の都合で差額ベッド代が合計16,500円かかっているが、これはあくまで病院都合なので医療費控除の範囲内。
私は安い医療保険に加入しているが、これで給付される金額はおそらく7.5万円程度だろう。
毎月の支払いを考えると、医療保険って……とはなる。
日帰りのレーザー手術をしたときは儲かった感覚があったけれど、入院となると「これっぽっち?」感が強いなあ。
10月19日(木)使い物にならない
ひとりでゆっくり眠らせてもらったおかげで、前日よりはずいぶんよくなった気がする。病院でいかに眠れていなかったかを痛感。睡眠は本当に大事。
娘の世話といえば、かろうじてオムツ替えができるくらい。ただし腹に蹴りを入れられると死ぬ。
実家で療養させてもらうスケジュールにしていて本当によかった、と思う。
私の場合は主たるものがヌック管水腫だったので話が少し違うのだろうが、併発していた鼠径ヘルニアは日帰り手術をしている医院も非常に多い。
YouTubeなどで体験記を見ると、翌日から働き始めているような人もいるが……ああいう情報は流さないでほしい!!!
あんなのごく一部の「働かないと生きている気がしない」みたいな人の特殊事例!!!
私は傷口以上に、何か食べた後の腸(?)の痛みがきつく、誇張表現ではなく動けなくなる瞬間がしばしばだった。
もともと右下腹部にそうした痛みを感じる機会はあったのだが、その頻度が多いのと、右だけではなく真ん中、左と、いろいろなところが痛かった。子どもの相手なんて全然できない。
ささっとシャワーを浴び、早めにまたベッドで横にさせてもらった。
10月20日(金)なぜ今回の手術は「お産より辛かった」のか
術後4日目。
相変わらず食べるとお腹が痛くなるし、咳や鼻すすりはズシンとくるが、傷口の痛みはかなり軽減していると思う。
実家ということで心底なにも気を使わずに甘えきりで過ごしていたが、さすがに潮時。
子どもの抱っこ、添い寝は再開させることにした。
「ヌック管水腫を治すには手術しかありません! 入院です!」と宣告されたときは、正直言って「やった、育児休み!」と思った。
蓋を開けてみれば、育児と痛みとどっちがラクだったんだろうという日々であった。
手術後は本当に本当に「悪性腫瘍ではないんだから、こんな手術受けなければよかった」と何時間も思っていたくらいだ。
しかし「ちょっとした手術」程度であの苦痛、不安、いろいろを体験できたのは、大変よい社会勉強になったと思う。
痛い×入院生活はすでに出産で体験している。
分娩室では「痛い! もうやめたい!」と泣き言を言いまくった。
それでもあの日々のほうがうんとマシだったと思うのは、産婦人科の特異性ゆえだろう。
新たな生命の誕生は本当にめでたいし、自身を犠牲にしながら出産したお母さんは全員もれなく偉い。
だから看護師さんも温かいし、泣き言にも寄り添ってくれた。不安な夜は励ましてくれた。病院食もおいしかった。なんならお祝い膳が出た。
今回は手術終了が夜だったこともあいまって、本当に不安だった。
私(というか、私のなかにあったヌック管水腫)はあくまで「1タスク」でしかなく、済んだら終わりなのだという感じがした。
誰も励ましてくれない。
身体に繋がれている管などは、このあとどういうタイムスケジュールで外されるのかもわからない。聞くタイミングもない。
ただただひとりで、身動きできず、暑くて痛くて気持ち悪い環境に耐えなければならなかった。どのくらいがまんすれば開放されるのか、その目安もわからなかった。
そして締めくくりは質素な病院食。
私の「ちょっとした簡単な手術」でこれだ。闘病生活を送られている方の不安を想像すると……いや、その苦しさは想像できない。
隣のベッドのおばあちゃんは、長らく入院しているようだった。寝たきりで、話し相手といえば看護師さんくらい。
失礼ながら、病院にいるほうが寿命が縮まるんじゃないかという気にもなってしまった。
誰かと気軽に会話ができるって、ウェルビーイングにおける重要なことだなあと改めて。
▼別ブログでこういう記事を書きました
10月21日(土)術後5日目、子ども対応再開
療養生活終盤、術後5日目。
入浴以外の子ども対応を再開させるとともに、実家滞在中でも自分がわかる範囲での家事手伝いを始めた。
とはいえまだ外出は不安があるので、実家の庭で娘と遊ぶ。つもりが蚊まみれだったのでやめた。娘は5分もたたずに刺された。恐ろしい。
食後の腹痛がなくなって快適に。
断乳しているのと、あまり動いていないぶん、あまり食べないように気をつけなければならない。
本当になにもしておらず、記憶のない日。
ボランティアの仕事など、考える系のことはやってしまわねばと思いつつヤル気わかず。
キングオブコントは子ども対応あり観られず。録画してあるので観よう。VIVANT以外はネタバレOK。
夜、腹痛再開したので22時前には就寝。
10月22日(日)術後療養、終了
術後6日目。
まだ咳をする際などに少し痛みはあるものの、手術をした鼠径部が引っ張られるような違和感があるのみで、ほぼ復活した気がする。
といってもサクサク歩こうとすると「鼠径部の違和感」が自己アピールしてくるため、ちょっと嫌な気分。
食後の腹痛もほとんどない。下痢がなくなり、便通も通常運行(便通だけに)。
腸の蠕動運動や消化のリズムが整ってきたのかもしれない。
動いていないので食欲はそれほどでもないが、「口さみしい」という感覚が出てきているので気をつけねば。
リハビリを兼ね、実家の父に付き添ってもらい、娘をベビーカーに乗せて買い出しに出てみた。
重いベビーカーを押すとなると腹圧がかかるため少々不安だが、ちょっとやそっとの買い出しなら全然大丈夫そう。
いちばんの恐怖、娘の抱っこ要求は父がカバーしてくれて助かった。
今日で術後6日ということを考えると、やはり「手術してから【最低でも】1週間は休みが必要」なのだと実感する。
術後2日目で退院したものの、本音をいえばもう1日入院して休ませてもらいたかったくらい。
明日はいよいよ実家療養を終え、自宅に帰る日。
日中ワンオペの日々が再開する。
1歳8か月の #我が子の言いまつがい
— やまま(娘は1歳8か月) (@yamama48) October 23, 2023
【正】はんぶんこ
【誤】はんぐんぼ
韓流スターの名前かと思ったよ、ハン・グンボさん…