- 10月23日(月)罪悪感を持たない
- 10月24日(火)困ったときはいつでも連絡をって言うけど、いざ連絡すると予約ウンか月待ちってどういうこと
- 10月25日(水)1歳児を見くびらない
- 10月26日(木)主婦はずるくない、罪悪感を持たなくていい
- 10月27日(金)お笑い英才教育
- 10月28日(土)幼稚園見学
- 10月29日(日)ムカついたら罪悪感を探る
10月23日(月)罪悪感を持たない
療養先の実家から帰宅。
帰るなり娘はお気に入りのパンダのぬいぐるみに駆け寄り、ただいまと声をかけていた。
幸い夫が在宅しており、お風呂だけ助けてもらう。
カウンセリングをお願いしていた方にいろいろ相談するなかで、私の敵はやはり「罪悪感」にあると認識。
そのおかげで多忙な夫に罪悪感や負い目を感じることなく、風呂対応をお願いすることができた気がする。
他人に罪の意識を持つように指摘されることは多々ある。仕事だってそんな機会はたくさんある。
そのときに罪悪感を持たない。「相手は私に行動を変えてほしいのだな」という意図だけ汲む。「私は悪い、落ち度がある人間だ」と思うのとでは雲泥の差がある。
これを訓練する。
10月24日(火)困ったときはいつでも連絡をって言うけど、いざ連絡すると予約ウンか月待ちってどういうこと
自治体が行っている身体測定&お遊戯会に参加したのち、幼児教室へ。
娘はもともと食が細くて遊び食べが多く、食事させるのが日々苦痛だったものの、断乳してから激変。
驚くほどよく食べ、炭水化物が大好きなのでデブ化が心配になるほど。
計測したら成長曲線ど真ん中でひと安心した。
顔見知りの親子がおり、「うちはまだ歩けないんです」と悩み相談してくれた。
1歳7か月が近いという男の子、お母さんと手をつなげば歩くのに、ひとりでは確かに歩かない様子。
でも伝い歩き等はするし、1歳半健診では(なぜかその場だけ)10歩ひとりで歩いたのだという。
我が家も歩いたのは1歳半を過ぎてからだったので、なんとなく状況はわかる。
絶対に歩けるのだけれど慎重な性格のせいで躊躇っているのでは、と思う。わが子に対してはそう思っていた。
「早く歩いてほしい」という願いはあったが、いつも抱っこだと面倒くさいからというこちらの都合なだけであって、子どもの成長への焦りとか、そういうことではなかった。
でもお母さんは自治体を通じて作業療法士(?)さんに相談しようか迷っているとのこと。ちなみに予約まで3か月待ちだという。どこのコロッケだよ……。
カウンセリングや心療内科もそうだけれど、本人が悩んでいるのは「いま」であるのに、勇気を出して門をたたくと「1か月待ち」ということがザラである。これはどうにかならないものか。
その後は幼児教室へ。
帰りに西松屋に寄ると、おもちゃコーナーにあるキッズピアノをずっと弾いているおじさんが。新手のストリートピアノスタイル。
少し見たいものがあったものの、発せられる香りからしておそらく野宿生活を送られている方で、ちょっと耐えきれなかったので退店した。
彼はなぜ、数ある「楽器設置店」のなかから西松屋を選んだのか……
1週間以上ぶりに娘の入浴対応。さすがにピンポイントで鼠径部を蹴られると痛いが、難なくできる。人体の回復力に感動。
我が家の場合、寝かしつけは「寝たふり」スタイルが有効だったのだが、寝たふりをするたびに娘からバンバン叩かれ、「オハヨー」と声をかけられるのはまいってしまった。
何度も挑んだが、最終的には目潰しといわんばかりにまぶたを触られた。人間の成長力にも感動するばかりである。
10月25日(水)1歳児を見くびらない
娘を一時保育に預け、入院中にできなかった作業など。
いまさらながらなのだけど、「今日はいっしょに遊ぶ日」「今日は保育園の日」というのを前もって伝えないとな、と反省しながらの送迎道中であった。
私が入院する際には、あらかじめ「この日からかちゃ(母ちゃん)は入院だよ、4日間会えないよ、がんばろうね」と何度も話していた。
それが功を奏したかどうかは知らないが、入院中、娘はしきりに「かちゃ、びょういん」と言っていたらしい。
私だって手術後の恐怖の一夜、いつごろどういう処置が施されるのかを逐次知りたかった。
何も知らせないまま突然どこかに連れて行くというのは、1歳の娘を見くびりすぎている。人として対等に接していない。
それにしてもよく喋る。はっきりと「話が通じる」。
産後でいまがいちばん、娘のことを愛おしく感じていると思う。
表情豊かで、ちょっとかすれた声(伊藤沙莉ボイス)で一生懸命に喋る姿は本当にかわいい。私のことを好いてくれているのも、とてもうれしい。
断乳してゆっくり眠れるようになったことも影響しているかもなあ。
保育園からの帰り道、道端でとつぜんおじいさんに最敬礼され、「日本の宝!ありがとうございます!!」と大きな声をかけられる。
というわけで我々は宝らしいので岸田さんもうちょっといろいろ考え直して。
10月26日(木)主婦はずるくない、罪悪感を持たなくていい
午前中は児童館の幼児向けイベントに参加。
今月から保育園に通わせると言っていた親子が来ていた。
もともと一時保育でも一緒だった親子で、私と同じように、週2くらいのペースで働いていたそう。フルタイム復帰するのかなあと思っていたのでびっくりして話を聞くと、「私が子離れできなくて、週3くらいのペースで通わせているんです」とのこと。
笑顔でそう答えてくれる彼女はとてもすてきだった。
いまは共働きがごく当たり前になっているから、「普段は何をされているんですか」と問われたとき、「家事育児(と、お金にならないブログその他)です」と答えるのが、毎回、つらい。
嘘をつけばいいのかもしれないけれど、そこまで頭の回転は早くない。
正直に主婦だと答え、「いいなー」と言われるとカチンとくる。見下された気分になるから。
そこまでいくと被害妄想はどんどん加速し、それなら働けよ、と責められている気持ちになる。
仕事をしていないこと、稼いでいないことに罪悪感を覚える。
この「罪悪感」こそが生きづらさの理由であると最近になって確信を得た。
モヤッとするとき、イラッとするとき、必ずどこかに罪悪感がある。
活躍している同級生たちの姿はほんとうにまぶしい。
私はどうしてああなれなかったんだろうと思うことはたくさんある。だって一応、めいっぱい努力したから。
でも思い返せば、その努力のモチベーションも罪悪感だった気がする。
「ありのままの私には価値がないから、少しでもブランド力のある大学に入ろう」とか、そういうこと。
これからは罪悪感を持たない暮らしを重ねていきたい。
主婦だっていい。「いいなー」と言われても罪悪感を持たない。
罪悪感を持つようなことをひとつひとつ手放していきたい。
10月27日(金)お笑い英才教育
娘を一時保育に預け、ボランティア打ち合わせの準備など。
来週は義実家への帰省もあるためスケジュール調整やら家事やらしていたらあっという間に迎えの時間になってしまった。
娘、最近ずん飯尾さんの45度とダイアン津田さん(とランジャタイ)のゴイゴイスーの歌が大好き。センスいいと思う。
10月28日(土)幼稚園見学
午前中は夫と娘で公園に行ってきてもらい、午後は私と娘で公立幼稚園の説明会へ。
給食費無料、1日500円強で最長18時まで預かってもらえる(つまり4時間くらい!)など、費用面ではなかなか魅力的。
校舎もきれいで、日々楽しく過ごせそうな様子が伝わってきた。
私立、公立、インターナショナルとどこでも説明会に足を運ぶようにしているが、行けば行くほど、その3区分での優劣などないことを感じる。
私自身は私立幼稚園に通わせてもらっており、よく言う「本物に触れる」「自然に触れる」みたいなことをさせてもらっている(はず)。
でもクラシックコンサートに行けば寝てしまうし、虫も動物も不得手である。幼稚園のころの思い出は忘れてしまっている。
だから親の自分自身が通いたくなる場所であったり、好きな校舎や先生だったり、そういう理由で選ぶのがよいのだろうと思った。
「子どものために」を振りかざすとろくなことにならない、気がする。
そういえば、今朝のこと。
娘の朝食補助は基本的に夫が担当してくれる。
私がまだまだ朝食準備真っ最中!というところで彼は娘を着席させてしまい、娘の「ごはん早く」スイッチがONになってしまった。
イライラした。なんで座らせるんだと思った。咎めたくなった。
しかし今週の私の気づきは「罪悪感こそが諸悪の根源」。
怒りと罪悪感は表裏一体だ。
私のいまのイライラはどういった罪悪感に端を発するものなのか?
たどり着いた答えは「早く朝食を用意しなければならないのに待たせている」だった。
本当に早く用意しなければならないのか?
座らせる選択をしたのは夫なのだから、娘の対応は彼に任せておけばいいし、彼はなだめるのがうまい。
だから私はそのあたりのことをなにも考えず、自分のペースで淡々と朝食を準備すればいいだけだ、と気づいて怒りが収束した。自分GJ!
10月29日(日)ムカついたら罪悪感を探る
家族3人で東京駅へ。丸善で開催されている「お文具さん」の個展が目的。
そこそこ混んでいて、東京駅の人混みも言わずもがなで、展示を見たのちすぐに帰宅の途へ。
家から近い大きめの公園で、コンビニおにぎりで昼食。娘は持参した幼児食を。
断乳後、娘が一気に食いしん坊になってしまったので幼児食ひとつでは足りない。おにぎり少しあげる。
公園でひと遊びさせ、帰ろうとしたところで夫よりスタバ立ち寄りの希望。日曜で混んでいるため寄れず。そのまま不機嫌そうになってしまったので困る。
でもこれはいつも私がやっていることなので、こういう気分になるのだなあと自戒の意識も持った。
不機嫌そうにされると、こちらの気分も悪くなる。
純粋にムカつく。こっちは精一杯やっているのに、なんだよと!いう気持ちになる。
しかし私のいまのテーマは「罪悪感を持たない」なのだ。
怒りと罪悪感は背中合わせである。考えるべきは「ムカつくなあ」ではなく「なぜ私はいま不快なのか」。
それを考えるとやっぱり、
「夫は日々が超多忙で土日しか休む時間がない」
「それに対して私は主婦で、扶養されている身」
「ゆえに、土日くらいは夫の希望することに従わなければならない(=スタバに行く)」
「でも行けなかったので、代替案を出すなりなんなりして彼の不機嫌を直さねばならない」
といった「罪悪感」を思いついた。
だけど私はなにひとつ悪くない。彼の不機嫌は彼のなかのものである。私がそこに罪悪感を覚える必要はなにもない。
けっこう難しいのだけれど、罪悪感を捨ててニュートラルな自分でいられるように心がけた。
ただ、ただ、ほとぼりが冷めるのを待ったら落ち着いたのでお互いによかったと思う。
しかし夜に不機嫌モードが再来(なにせ夫は多忙なので、サザエさん症候群的なものもあると思う)。
同じ空間にいるのがしんどくて、21時くらいには寝室に避難してしまった。私も自室ほしい……。
日中うまく過ごせただけでも自分をほめておきたい。