母になっても言いたいことやまやまです

ブログ「言いたいことやまやまです」著者のやままが母になってからの日常を綴ります

2024年3月第2週/2歳1か月

通りがかりの小諸そば。店内オッサンしかおらんかったぞ

 

3月11日(月)流れていった時間

一時保育の日。

やるべきことを粛々と進める。家事もする。

 

気づいたら14:46をとうに過ぎていた。

私はあの震災を自分ごと化できていないんだと悟り、罪悪感や悲しさ、情けなさが込み上げる。

 

3月12日(火)いい加減にしなさいよ

雨と暴風の予報が出ている。

小雨のうちに児童館に行き、2時間ほど過ごして幼児教室へ。

 

おそらく夫の夜ごはんを作るだけの心身の余裕はないだろうと思い、道中の弁当屋で夫用の弁当を購入。

おばちゃんに「雨でベビーカーじゃ大変ねえ」と声をかけてもらう。

「いや、このくらいは慣れてますよ」と返事しながら、いつのまにか、よほどの雨でなければ「ちょい面倒くさいな」くらいにしか感じなくなっている自分を発見。

 

幼児教室のあとはどこかで遊ばせてから帰宅するのが常だが、今日はかなり大雨になるとの予報だったのでまっすぐ帰ることに。

やや持て余している娘と自宅で過ごすのは大変。

終始マッド・マックスばりの「俺を見ろ」アタックを受け続ける。

10分だけでいいから静寂が欲しい。

雨のベビーカーと違って、これは本当にいつまで経っても慣れない。

 

はたらく車が好きな娘。

気に入ったらいいなと思い、R-1のトンツカタンお抹茶のネタ(かりんとうの車)を見せてみた。ハマらず。

 

娘、私がイライラしているときの口癖「いい加減にしなさいよ!」をやたら真似する。

夫には非常にがっかりされている。

夫はこういう言葉を娘に覚えてもらいたくないのだ。だから私にも都度都度「言葉に気をつけろ」と注意してきた。

 

……でもさ、ワンオペで、病気の日も台風の日もべったり一緒にいたらさ、イライラして言葉にも出るよ。「気を付けて」という正論がめちゃくちゃムカつくよ。

……まあそんなのは言い訳で、ふつうに考えれば私がいけないんだけどさ……。

 

覚えてしまったもんは仕方ない。忘れろといって忘れられるようなら世の中はもっと政治家候補者まみれになっているはずだ。

前向きに考えよう。「馬鹿」とか「畜生」とかじゃなかったのがせめてもの救いじゃないか。

「いい加減にしなさいよ!」くらいなら、「ツヨシしっかりしなさい!」みたいなもん。ダイジョブダイジョブ。

 

3月13日(水)一時保育時の別れ際

一時保育の日。

いつまで経っても大きくならなかった娘の足。

前回のお迎えの際に「靴が小さいみたいです」と先生に教えてもらい、慌てて西松屋で保育園用の運動靴を購入した。

普段履きの靴ではないので、クッキーモンスターのような色と顔がついたド派手な一足をチョイス。娘大喜び。

こんなもんで保育園が楽しみになるなら安い買い物だ。

 

先月あたりは、一時保育室での別れ際、大泣きして大変だった。

最近は離れることを惜しがりつつも、娘なりに保育園で過ごすことを納得してくれるようになったと感じる。

離れる際に「(抱っこで)10数えて」と言ってくる。

ギュッと抱きしめながら10数え、「私はお仕事、あなたも”遊ぶ”というお仕事。お互いがんばろう」と言うと、すんなり離れていく。

我が娘ながらすごい。というか、人の成長ってすごい。

 

1年以上通っているベビーサイン教室にて、先生がこんなことを教えてくれた。

 

「保育園の先生の中には、”お母さん、今のうちに行ってしまってください!”と声をかけるタイプの人もいるけれど、ちゃんと目を見てバイバイすることが大事。

そして、なぜ離れるのかという理由と、必ず迎えに来ることを伝える。そうすれば泣いていてもちゃんと理解してくれる。

子どもが泣くのは大切なこと。感情をたっぷり表に出しながら徐々に受け入れていくのは健全なこと」

 

育児の教えに正しいも間違いも(多くの場合は)ない。

結局はどれも「みんな違ってみんないい」。それぞれに流儀がある。

どれを実行するかは「自分が納得できるかどうか」で決めればいいと思っている。

その点、前述の先生の持論はとてもしっくりきた。

それで隙を見てサッと姿を消すのではなく、娘の大泣きを受け入れながら10秒抱きしめることにしたのである。

そして「私は仕事(病院)に行く」「16時半には迎えに来る」「それでもなにか困ったら、先生に泣いて伝えて」

これを伝え、ちゃんと手を振って扉を閉めることにした。

 

さらに私なりの工夫は、迎えに行ったときや一時保育日の夜、「あなたががんばってくれたおかげで私は仕事ができた(病院に行けた)」とお礼を伝えるようにしたこと。

あとは前日などからあらかじめ「明日は保育園の日だよ、母ちゃんは仕事をするよ」と何度も宣告したことくらいか。

とにかく「あなたががんばるおかげで、母はうれしい、助かる、ありがたい」を伝えるのを意識した。

 

そのうち、保育園での別れ際、娘は自らに言い聞かせるように「かちゃ、びょういん」と言うようになった。

(10月に私が手術で入院し、4日ほど夫と2人暮らしになったことも影響していると思われる)

そんな日々を経て、「お互いに、お互いの仕事をがんばろう」という言葉だけでスッと離れてくれるように。

 

ドヤ顔風の記述で恥ずかしい限り。

ドヤ顔する権利など私にはない。私にはなんの功績もない。

ただひたすらに、理解力が高くて機転の効く娘に感服する。

腹のなかにいた頃からずっとそうだ。

メンタル弱めのこじらせ女(母)を補いつづけてくれている。

やたらと頻繁に筆文字で「出会いに感謝」したがる輩は好きではないが、娘とのこととなると、天からいただいた出会いに、ご縁に、感謝しかない。

 

3月14日(木)ジモティー難しい

夫、出張で不在。

朝一番で公園に行き、ひとしきり遊びに付き合う。

午前中は児童館の幼児向けイベントに参加。たくさん楽器を触らせてもらった。

 

児童館イベントは今年度最後の参加になるため、担当の先生方にお礼の手紙を渡す。

今年度の写真をPowerPointでペタペタ貼り、メッセージを入力して、はがきに出力したもの。

PowerPoint感あふれる、16:9の画角となった。

はがきに目いっぱいプリントされることを想定していた私のバカバカバカ!Canvaで作ればよかった!

こんなことに時間をかける余裕があるのも、主婦だからだよなあ。夫ありがとう。

 

いちど帰宅して昼食を食べさせる。

その間、ジモティーで問い合わせ。事の顛末は下記の通り。

 

 

娘が昼寝から目覚めたら、またしても上野の科学博物館へ。

コロナ中は閉鎖されていた「コンパス」という子ども向け施設(入場料1人300円/45分)が再開しており、やっと予約が取れたのだ。

清潔感あり、剥製あり、滑り台あり、のかなり素敵な施設で大満足。

 

その後おやつを所望する娘を連れ、博物館の屋上へ。

設置されているたくさんのテーブルセットを見て、娘はしきりに「おすしやさん!」と大はしゃぎ。

先日行ったくら寿司のボックス席を彷彿させたのだろうか。

屋上はたいそう気に入ったようで、結局帰る時間になるまで屋上で過ごすことに。

こんな過ごし方、年パス買ってないとできないな……(ありがとう科学博物館)。

 

そこからは怒涛の夜ルーティン。記憶がない。

まもなく39を迎えるババアにはハードな1日だった。

寝かしつけ後に家事をしようとしていたのに動けず、22時前には就寝。

5時に起きるつもりが、目覚めたときには7時でがっかり。

 

3月15日(金)マジになりすぎずに生きる

娘、一時保育デー。

いつもなら最後に「10秒抱っこ」をせがむのに、部屋についた途端「かちゃ、ばいばーい」とのこと。さすがに週3回も来たらそうなるかあ。

 

あいにく家を空けているあいだにAmazonの荷物が届いてしまい、宅配ボックスに取りに行く。

両手で抱えてエレベーターに乗り込むと、同じタイミングで乗った住人のおば(あ)ちゃんに「最近はみんな!それ(Amazon)使ってるよね!」と声をかけられる。

無言空間に耐えられないタイプの方とお見受けする。話しかける内容、適当にもほどがあるだろう。

 

娘を迎えに行き帰宅する道中では、空に向かって話し続けているチャリンコおばさんに娘を指さされ、「WHO、世界保健機関に入りなさい」と言い残された。

これまた適当にもほどがあるだろう。

 

あんまりマジにならずに生きていけよというメッセージなのかもしれない。

 

3月16日(土)親子料理教室に行く

毎週通っている英語レッスンはお休みの日。

土曜日は夫のメンテナンスデイ(整体)でもあるため、私と娘は単発の親子料理教室なるものに参加。

子どもは「揉む」「混ぜる」程度のことしかしないのだけれど、娘はリュウジが大好きなので試しに行ってみた次第。

 

アタマに巻くバンダナを持参してくださいとのことで、手持ちのバンダナを探したら野猿の撤収ライブのグッズしか持っていなかった。

化粧をしたままかぶりの服を着るときなどに愛用していて、年季も入っている一品。

改めて柄を見てみると、メンバーの年齢が書き込まれている。とんねるずは当時39歳だったらしい。

私、4月で39になる……偉大なり、偉大なりとんねるず……!

 

教室ではパンと、鶏肉のスープをつくった。

他のお子さんが一生懸命にパンを捏ねるなか、娘は「生地が手にへばりついて気持ち悪い」ということで大泣き。参った。

もうひとり、娘と同い年の2歳の男の子も参加しており、水をひっくり返すわ床に寝転ぶわで大変そう。

お母さんは慌てる様子もなく、とくに注意する風でもなく。

その姿を見て、またしても子育てスタイルについて悩むことになるのだった。

 

私はやっぱり、なんも注意しないのは気に食わない。

でもガミガミうるさい私の育児スタイルより、彼女のような人のもとで育てたほうが、子の自己受容感は高まるのではないか?

私は結局、子どもの幸せよりも自分の都合だけを優先しているのではないか?

……考えていても仕方ないし、気に食わないことはできないから、もう、ガミガミ言うのを上回る「あなたのことが大好き」の意思伝達を意識しよう。

 

娘は鶏肉のスープがたいそう気に入ったらしい。

手羽先をそのまま(といっても小さく切ったが)あげるのは初めてだったのだけれど、軟骨までボリボリいっていて「私と気が合うなあ」と思う。

 

料理教室で神経をつかったこともあり、午後は私が電池切れ。

夫に「夜ごはんは◯◯でいいよ」構文を使われてイラッとくる。それを用意するのは私である。

(ただ夫の場合、やってくれと頼めば渋々やってくれるので、私が反応しすぎなだけだとは思う。でもその”渋々”を感じるのもまたストレスなので、結局自分でやってしまう)

 

3月17日(日)ムカついても諦める

夫がまたしても出張に旅立つ日。夜に飛行機に乗る。

それまではいつもの日曜日なので、夫が好きなレストランに昼食をとりにいくことに。

 

近くにある公園で娘を遊ばせていたところ、気づかぬうちに娘の袖に鳥の糞がついていた。生まれて2年でこんな経験をするとは!

近くの商業施設のトイレで糞を軽く落としていざレストランへ。

近隣でイベントがあったようで、いつもすんなり入れる時間に長蛇の列ができていた。がっかり。

その後何件か覗いてみるも、すべて満席。

もう家で適当に食べるか、となかば諦めていたところでベビーカーOKの店に滑り込めた。

スタッフの方のホスピタリティもあいまって、めちゃくちゃおいしい……終わりよければすべてよし。

 

午後は家族でスーパーに買い出しに行き、家で夕食をとり、夫を送り出した。

 

いそいで出張の準備をしなければとか、仕事をしなければと言いながらスプラトゥーンをするなど、今週末も幾度も夫にカチンときたりムッとしたり。

でも喧嘩に発展しなかったのでよい週末だったと思う。

なんというか、カチンやムッを比較的すぐに手放せた気がする。

「私はあなたにカチンときています」を態度で示し続けていると疲れるのだ。

そして相手の思考や行動は早々かんたんには変えられない。諦めたほうが早い。

喧嘩しないでそこそこ仲良くやっているときは快適なので、心をそのポジションに戻すことに努めたというかんじ。

悪くない方法だと思うので継続できたらイイナ。