- 1月8日(月祝)「主婦を蔑む投稿」読みすぎの弊害
- 1月9日(火)お願いごとを伝える元気もないときはどうすりゃいい
- 1月10日(水)すっきり
- 1月11日(木)専業主婦だって託児させてほしい
- 1月12日(金)また風邪
- 1月13日(土)Adsenseの登録申請をしてみる
- 1月14日(日)Adsenseあっさり通る
1月8日(月祝)「主婦を蔑む投稿」読みすぎの弊害
どうにも気持ちがトゲトゲしている連休だった。
朝は早起きの娘に付き合う。起きてすぐに娘の朝食準備。夫は眠っている。
夜中の覚醒にも付き合っているのに、朝も私が対応せねばならんのか。
授乳が終わってもこれか。連休中なのにこれか。
目覚めて5秒でイライラがスタートしてしまう。
朝起きると夫が飲んだビールの缶がそのままになっており、これまた猛烈にむかつく。
缶越しに「おまえは主婦なんだから始末はおまえの仕事だろ、やっとけよ」と言われている気分に(勝手に)なる。
家事という仕事が召使い業務のように(勝手に)感じられてくる。
私にスキルと勇気がないのが悪いのだけれど、夫を悪者にしないとやっていられない気分だった。
娘の食事が進んできたところで夫起床。
イライラをそのままぶつけてしまい大喧嘩に。
「家のことも子どものこともがんばってくれているんだから十分で、働けなんて思ったことがない、言いがかりだ、何度も言わせるな」
と叱られる。少し感動する。
私はどうして家事育児業務に誇りを持てないんだろうか。Twitterの見すぎかもしれない。(心に余裕のない)ワーママの恨み節を読みすぎた。
あとは自分自身に「家族内役割」ではなく「社会的役割」がほしいのかもしれない。
そんなことをしていたら、ジモティーで購入することになったオムツの受け渡し(1000円で2パックも譲ってくれた!)の約束を失念。びっくりした。
リマインダーもかけていたのに気づかなかった。
私はこの手のシチュエーションが本当に苦手で、絶対にこういうことがないようにあらゆる対策をしている。
それが効かなかったこと、そして自分の失礼さに打ちのめされ、このまま消えてしまいたいと思った。この程度で本当にそう思う。
大慌てで連絡して待ち合わせ場所に向かうと、全然大丈夫、気にしないで、とたぶん心から思ってくれているのが伝わってきて、ありがたすぎて泣きそうになる。
ケンカはなんとなくほぐれたが、心の何処かで受け入れられていない気がする。モヤモヤする。
1月9日(火)お願いごとを伝える元気もないときはどうすりゃいい
朝いちばんで支援センターに行き、午前中遊ばせて早めにランチルーム使用。
ゆっくり昼食を取らせたのちに30分ほど徒歩移動。
ベビーカーで眠ってくれたのでサイゼリヤでひとりワインとピザ。500円。
マクドナルドに行く理由がなくなる。500円前後のバーガーひとつでおなかいっぱいになったためしがない。
娘の目が覚めたタイミングで移動。幼児教室へ。
酒なんて飲んではいけなかったのだけど、最近いろんなことに過敏になっていて日中に少しアルコールを入れないとイライラお化けになってしまう。苦しい。
終了後、娘の美容院予約まで時間があったのでマクドナルドで時間を潰す。マクドナルドはやっぱりなくてはならない。
塩を振らないようオーダーしたポテトを、娘といっしょにおやつとしていただく。
揚げたてでおいしい。
「そんなものを食べさせるなんて!」と吠えたければ吠えればいい。その時間を幸せに過ごせるかどうかのほうが大事だろ。
時間を消化してから娘を美容院に。
髪を結ぶのも乾かすのも面倒なので、本人が望むまではショートカットである。とてもかわいくしてもらって大満足。
1980円で「娘かわいい」と毎日思えるスタイルにしてもらえるなんて安いもの。自分で切ったら地獄の日々だ。
夫婦の揉め事の代表例のひとつが「言わなきゃわかってくれない」というやつで、それはたいがい、妻の無言の暴力である。我が家も例に漏れない。
藤本ミキティは「全部伝える」と言っていた。さすがだ。
私もそうせねばと思うけれど、今日も12,000歩コースで歩き回り、娘の遊びにも付き合っている。鍛えていないアラフォーの体力の限界である。
「すべて伝えなければやってもらえない」のが辛くなってしまった。
そんなのは甘えだと思う。テレパシーが使えない以上、言わなきゃ伝わらないのだから。
結局、夜も酒を飲む。おいしくはない。
でも少しぼんやりしないとおかしくなりそうだ。
1月10日(水)すっきり
娘を一時保育に預け、事務作業をいろいろしていたのだけどあっという間に時間が過ぎ去ってしまい記憶がない。
迎えに行く直前にカウンセリングも受ける。
荒ぶっていた気持ちがすっかり落ち着く。この日は酒を飲まずに済んだ。
布団で寝ている娘の横に滑り込んで、「子どものにおい」を感じながら抱っこする瞬間が大好きだ。
多幸感に包まれることを期待して滑り込むと、布団はうんこのにおいで満ち溢れていた。
娘の尻に手をやるとこんもりしていて、寝ながらこれだけうんちできるなんてすごいなあと思う。かわいい。
1月11日(木)専業主婦だって託児させてほしい
娘を一時保育に預けて仕事と書類整理、今後フリーランス仕事を増やすためのひとり作戦会議など。
昨日、自治体から「一時保育を正しく使うように」という案内がきていてビビっている。
就労を終えたら直ちに迎えに行くようにせよ、リフレッシュ目的なら別の専用施設を使うようにとの内容。
私がやっていることは仕事なのか、リフレッシュなのか……。
遊んでいるつもりはないが、収益になっていない時間は多い。
娘の幼稚園入園(あと1年ちょい)までには、単発ではなく定期のお仕事を見つけないとなあ。
それにしたって、自治体が言う「リフレッシュ目的の託児施設」の使い勝手が悪すぎる。
自治体の管轄エリア内に2件しかなく、しかもけっこう端のほう。送りと迎えだけで時間が溶ける。
ベビーシッター料金の補助も申請できるが、そもそもベビーシッターが予約いっぱいで受け付けてもらえない。
全く仕事をしていない、完全な専業主婦の方はどうやって気分転換すればいいというんだろう。
不公平感を抱きつつ、保育園に迎えに行く。
一時保育室の戸を開けて娘と目が合った瞬間、「かちゃ(母ちゃん)!」と言いながら駆け寄ってきてくれる姿を見られるのは本当に幸せ。
こんなに「会えてうれしい」と思ってもらえることなんて、そうそうないよなあ。
1月12日(金)また風邪
ベビーサイン教室の日。
張り切って出かけたら早めに着いてしまったので、近隣のコンビニのイートインでおやつ、兼、早めの昼ごはん。
ママ友が「干しいも便利だよ」と教えてくれたので、購入。娘もおいしそうに食べていた。私もコーヒーを飲めてよい休憩。
その後ベビーサイン教室をぞんぶんに楽しみ、実家へ向かう。
その道中で娘の顔が赤くなり、額に手を当てると微熱が出ているようだった。
年末にウイルス性胃腸炎をやったばかりじゃん……。
子育てをして驚いたことのひとつが、予兆なしに突然に発熱することだなあ。
熱があるくせに元気で食欲もりもりなことにも、おとなになってからだと驚かされるばかり。どうなっているんだ。
1月13日(土)Adsenseの登録申請をしてみる
娘は咳がひどくなってきて、夜中はなんどもうなされていた。
子どもの咳を聞くのはとてもつらい。こちらの肺まで苦しくなってくる心地。
なにかしてやりたくても、部屋を加湿して、気休めにヴェポラップを塗るくらいしかできない。
昼、父が娘の相手をしてくれている間に、このブログにGoogleAdsenseの広告バナーを掲載するだけの力があるのか興味があって、登録申請を出してみた。
日記ブログはダメだとかなんとか聞くけれど、実際のところどうなんだろう。
記事数だけは、半年間にわたり毎週更新しているだけあって、そこそこある。しかし「情報」はない。
そんな、ある意味「クソブログ」なこのサイトが審査に通ってしまったら、Googleの見る目とはいったいなんなのか……。
長いと2週間くらいかかるらしい。何も急いでいないので気長に待つ。
1月14日(日)Adsenseあっさり通る
夜通し、娘が咳をしてはうなされるのであまり眠れず。
マスクをしたほうがいいんだろうと思いつつ、結局ノーマスクで添い寝しているので咳をモロにかぶっている。
ビタミンCを多めに摂ればどうにかなるか? 人体実験。
実家からの帰宅に際し、父が車で送ってくれるというので甘えることに。娘の咳も気になるのでありがたい。
ジモティに出品していた子ども服が売れる。
1500円→1000円という強気な値切り依頼に戸惑いつつ、「華丸さんが真似するトーカ堂の北社長」くらいの低姿勢で1300円を提案。受理される。
娘を寝かしつけた後、メールボックスを開くとGoogleから「おめでとうございます!」という上から目線のメールが届いていた。Adsenseの審査、あっけなく通過。
Googleの審査って何? このブログに広告出すだけの価値があるかね?
このあいだ、ねほりんぱほりんで「アフィリエイター」の回を放送していたけれど、私には難しい仕事だなあ。
そもそも、アフィリエイトブログをみて、そこでレコメンドされているものの広告リンクを踏む習慣がない。
「アフィリエイト(お金稼ぎ)」と「情報発信」……目的が逆転しているサイトも多々存在する。素人の目にも、それは透けて見えるものだと思う。
アフィリエイトのためにやっているブログは、構成だったり言葉遣いだったり、なんとなく違和感がある気がする。情報が薄いからかもしれない。
そんなわけで、優れたアフィリエイトサイトを運営できる気がしない。
アフィリエイト以外で、ブログ関連で少しでも収益につながる方法があるといいんだけれどなあ。
そのためには誰かの役に立つことを発信していかないとなのだけれど、そんな有益なものを私が持っているはずもなく、趣味として楽しむものと割り切ったほうが平和なのかもしれないな。