母になっても言いたいことやまやまです

ブログ「言いたいことやまやまです」著者のやままが母になってからの日常を綴ります

2024年1月第3週/1歳11か月

りんごでも芋でも餃子でも、皮だけ食べる(上の写真はりんご)

 

1月15日(月)子どもの風邪の治療方針

朝一番で娘を耳鼻科に連れて行く。

先生はとにかく無駄と愛想がない。そこが好き。小児科以上に頼りにしている。

クリニックと対になっている薬局の薬剤師さんも独特な人柄なのだけれど、薬の説明がわかりやすいから好き。

言いつけどおりに服用するとちゃんと治る。

これ、加藤浩次じゃなくても「当たり前じゃねえからな」と言いたくなるポイントでは。

 

子どもと体調不良は切っても切れないもので、その対応についてはナチュラル(自力を信じる)派とメディカル(薬を頼る)派がある。

自分のスタンスを明確にしておかないと、Webの情報に踊らされて混乱することになりかねない、と思う。

 

私は小児科と耳鼻科がそれなりに近所にあるうえ、私自身に時間の融通がききやすいので、かなりメディカル派である。

ただし発熱に関してはナチュラル派というか、安易に解熱剤は使いたくない。

無知人間の勝手なイメージではあるけれど、熱はやはり、「娘の身体が戦っている証」である。

痙攣などが起きれば話は別だが、よほどのことがなければ身体を冷やすOR温める、とにかく水分はしっかり取らせてできるかぎり寝かせる、としたい。

いっぽう、咳や鼻水といった風邪の諸症状は薬による対症療法を積極的に導入していきたい。咳が長引いても良いことなどない、と思う。

 

医者だっていろんな考え方の人がいる。なにが正しいかなんて、「どの宗派を信じると心穏やかでいられるか」くらいのことだと思う。

だからここで「私が正しいのだ」なんてことを言いたいわけではないのはご理解いただきたい。

ただ、夫婦の見解が一致していてよかったとは思う。不一致だとけっこう地獄を見るのでは……。

 

さて、ほぼ全快している「念のため病児」の自宅保育に限界を感じ、ささっと買い出しに連れて行って気分転換。

無駄にアンパンマンの混ぜごはんの素を購入してしまう。

アン「パン」マンなのに、ごはんのお供がたくさん販売されている。

 

1月16日(火)多忙な夫を支えられていない情けなさ

子どもの咳がだいぶ治まってきたので、支援センターの「英語リトミック」なるイベントに参加することに。

支援センターまで徒歩30分の道のり。

さすがに寒く、歩いているこちらはいいにしても、子がベビーカーで静止して30分を過ごすのは地獄だろうと思い、バスに乗る。バスに乗っても30分の道のり。

イベントはよくわからないうちに終わった。

娘としてはイベントより、支援センターのおもちゃなどでいつもどおりに遊びたかった様子。そんなもんだ。

 

イベントの影響もあり支援センターは混み合っていた。

早々にランチルームを借りて昼食をとることに。空いていて快適。

ゆっくり昼ごはんを食べさせたあとは昼寝させつつ移動し、幼児教室へ。

娘は言葉は達者なのだが身体を動かすのは不得手で、今日もみっちり訓練を受けていた。私はサポートが苦手な分野なのでありがたい。

 

夫に依頼されていたニトリの寝具を購入して帰宅。

夫は業務がますます多忙になってきており、彼の当番にしている「娘の朝食介助や着替え」すらままならない様子である。

確かに朝から晩まで、そして土日も働いており、そんな彼のおかげで不自由ない暮らしができている。

ならば育児のすべてはこちらでやるべきなのだろう。

理屈のうえではそうなのだけれど、悲しいことに「そんなのずるい」と思ってしまう自分がいる。情けない。

 

娘と夕飯を食べながら、「ジブンデ!」ブームにイライラするのを感じた。

気づけば生理予定日2週間前。抑肝散を飲む。

でも生理前でなかったとしても、夫が担当している育児をこちらで負担してあげよう、助けよう、という気持ちにはならないんだろうな……人としてどうなんだろうな……。

 

1月17日(水)ズルい女

娘を一時保育に預ける日。

ここ1か月くらい、預ける際に大泣きされる。

 

同時にすさまじく私に懐いている、と思う。

もともと夫にも懐いていたはずなのに「とうちゃん、ばいばい」「かちゃ(母ちゃん)、すき」とは……夫はショックだろう。

 

家で家事をしていてもとにかく構ってほしい、見てほしい、となるので大変ではある、が、うれしい。

こんなふうにしてくれるのは本当にいまだけなのだろうとも思う。すでに切ない。

 

寝かしつけて、目の前で寝息を立てて寝ている顔を拝めるのはなんという幸福だろう。

もうすぐ2歳になるが、0歳のころにこういう気持ちにはならなかった。

心身に余裕がなかったのも一因だろうが、思い返すと「かわいいけれどおもしろくなかった」。

 

いまは「いっしょに生きている」という実感がある。

変な書き方だけれど、ともに暮らすなかで私も「娘に懐く」ようになったのかもしれない。

そんないろんな気持ちの上で、幸福を感じる。もうすぐ2歳かあ。

 

秋に保育園を申し込んだ友人たちが、4月からの新たな暮らしについて言及する機会が増えてきた。

かわいい盛りに子どもとの時間を一気に削り、仕事を再開させる。

時短勤務ともなれば、お給料的に「保育園代のために働く」みたいなことになる人もいるだろう。

 

友人たちの不安を耳にするたび、たまに娘を預けて内職しつつも、基本的には家事育児に専念できるという私の暮らしは、つくづく恵まれている。

それは「ずるい」とも言い換えられるのではないか。

けっこう、妬みの対象なのではないか……とこちらも別の不安が募ってしまう。

勝手に罪悪感まで覚える始末。

「こんなにラクさせてもらっておいて、夫に文句を言うだなんて何様だ」くらいのことは思われているんじゃないか。

やっぱり知恵袋と発言小町とTwitterの読みすぎだろうか。

 

どうしたらみんなが幸せになれるんだろうなあ。

私の幸せを求めて、布団のなかで眠る娘の姿に想いを馳せる。

私は私にできることを一生懸命やるしかない。

 

というわけで翌日渡す予定になっているジモティーの取引相手に「明日よろしくね」のリマインドメール。

返信には「明日行けなくなりました。キャンセルお願いします」とあった。

 

私は私にできることを一生懸命やるしかない(再出品)。

 

1月18日(木)3歳の「女」たち

午前中は児童館のイベントに参加。

0~3歳合同クラスなので毎度カオスではあるのだけれど、それが勉強にもなるし、なにより担当の先生方が大好きなので、よく通っている。

この日は気の強い3歳女子が多くて、けっこう、まいった。

まもなく2歳を迎える娘よ、彼女たちを反面教師にしてくれるだろうか。

 

娘には、椿鬼奴さんのようないつまでもかわいい女性になってほしい(イッテQを観るたびにキュンとする)。

みんな大好き「みいつけた!」の現スイちゃん(増田梨沙ちゃん)ですら、「スイスイがんばるぞ」コーナーを観ると、「女だ……女だわ……自分がどうしたら注目されるか、かわいいと思ってもらえるかを意識している……(それが仕事なんだから有能すぎるんだけど)」と感じてぐったりしてしまう。

 

イベント後、近くのガストで昼食。

マヨコーンピザのコーンとピザの耳、そして蒸し鶏とキノコのサラダの一部の具を娘に。こんな昼食でごめんな……。

そこから家庭支援センターに向けて徒歩移動。

10分くらい歩いたところで眠ってくれたので、私はドトールで休憩。

無性に甘いものが食べたくてモンブランまでお願いしてしまった。昼食と合わせると1600円くらいの出費。贅沢しすぎ。

今後の仕事のことなどをひとり作戦会議しつつ、新人にマニュアルをレクチャーしているドトール店員たちをうっすら眺める。

 

娘が目覚めたら家庭支援センターのひろばへ。

私は屋外遊びに付き合うのが非常に苦手なので、娘を「放牧」できる無料施設があって本当にありがたい。

先に遊んでいた1歳くらいの女の子がぐいぐいと娘にアプローチをしかけてきて、そこから「それとなく」逃げる娘がかわいかった。娘のこと、つくづく大好き……と思った瞬間。

でも最終的には「イヤッ!」と言ってその子を叩こうとしてしまったのでヒヤリ。

振り上げた手をキャッチできた自分を褒めたい。我が身に潜んでいた具志堅Eye(動体視力的な話)。

 

夫が出張のため不在。帰りにスーパーでおにぎり弁当を購入し、娘と食べる。

りんごを剥いてやると、「その赤いところが欲しい」という意思表示をされたので皮を提供。皮だけ食べやがった。逆・長嶋茂雄。

ちなみにふかし芋も皮のほうだけ食べる。マクロビ志向の目覚めなのだろうか。

 

娘を寝かしつけたあとは悠々自適タイム。オンラインコワーキングスペースの「みんコワ」でまったり。楽しかった。

 

1月19日(金)育児日記、読んでくれてありがとう

娘を一時保育に預け、いろいろ整理。

 

先日、旧職場の先輩からこの育児日記をお読みいただいている旨、連絡いただく。

素直に純粋に嬉しかった。

 

Adsenseの審査を通過した際、このブログに広告を貼る価値があると判断したGoogleはポンコツだと思った。

無名の小市民の日常が綴られているだけのこのブログは、書いている私には「ストレス発散の場」という価値があるけれど、対外的には無価値である。

 

でも先輩から連絡をもらって、ふと思った。

私があまりにも「価値がない」、むしろ「価値があってはいけない」と思っているがために、Twitterやメールや投げ銭を通じていただいてきた「読んでいるよ、共感するよ」というメッセージをないがしろにしていないだろうか。

思い返してみれば、いただいたコメントに共通するのは、「正直な気持ちが綴られているところがよい」という評価である。

 

育児エッセイマンガを描ける、画力のある人はいいなあなんて思っていた。

私自身は文字を読むのが苦手なので(DEATH NOTEはたまに限界点を超えた)、こんな、文字だけでタラタラ書いているものはどこにも需要がないだろうと思っている。

でももうちょっと自信を持ってもいいし、少なくとも、書くのをやめなくてもいいんだなと思えた。

 

この場を借りて、アクセスして読んでくださる皆さま、ありがとうございます。

 

1月20日(土)親子カフェイベントに参加したり、月経カップ買い替えたり

来週やってくる予定だった生理ちゃんが昨晩来訪。

 

先週やたらイライラしたり、自己否定モードになっていたりしたのをコイツのせいにできてちょっと安心する。

 

午前中は近所の親子カフェでママ向けイベントに参加。

オープンカウンセリング的な内容だったので、子どもは連れてこないほうがラクなのだけれど、あいにく土曜は夫のメンテナンスデイ。

託す場所がないので、娘を信じて連れて行くことにした。

 

親子カフェという場所柄、みなさんが娘を歓迎してくれて助かった。

おもちゃで上手にひとり遊びしたり、少しグズっても私の膝に乗せたら落ち着いてくれたりで、そんなに大変ではなかったのでびっくり。

たぶん、みなさんの歓迎モードがそうさせたのだと思う。子どもにも「ムード」は伝わるよなあとつくづく。

 

定期的にこのイベントは開催されるそうで、とてもよいことだなあと思った。

「職場」でも「ママ友」でも「旧友」でも「家族」でもない、なんでもないコミュニティがあると救われる人は多いと思う。

 

たとえば、娘は2歳前のわりにかなり喋るので、日々おもしろ語録が飛び出すのだけれど、それを「ママ友(カギカッコ付き)」の前で話すと、ともすれば「自慢」「嫌味」と捉える人もいるかも知れない。

マイクロアグレッションの問題も取り沙汰されているなか、「ママ友(同上)」の前で話せることは限られている。そのぶん、ストレスも溜まる。

 

だからそういうことを気にせず、心理的安全性が確立された場でひとときを過ごせるというのはとても大事。

……などと思うなら、広報サポート業務を買って出てみるのもよいのかもしれないよなあ。マネタイズが難しそうだけど。

 

午後は近所のスーパーでキャラクターグリーティングがあるというので娘と参加。

実は毎晩そのぬいぐるみと一緒に眠っているくらい、娘はそのローカルキャラが好き。

しかし想定外のデカさにビビり、終始手で顔を覆ったままだった。そんなもんだ。

 

夜、朝のうちにAmazonで注文していた月経カップが届く。

 

私は出産前から月経カップを愛用しているのだけど、産後、経膣分娩で人ひとり通して拡張されたこともあってか、体質が変わったのか、出血量が一気に増えた。

もともと使っていたカップではダダ漏れになってしまい、ナプキンと併用しながらダマシダマシ使っていたものの、いよいよストレスフルで大きなものに買い替えた次第である。

 

【before】メルーナクラシック Mサイズ

【after】   エヴァカップ Lサイズ

 

昭和のアダルトグッズかと思うほどの艷やかでビビッドなピンク色にドン引きしつつも、使いやすさ満点。

5,000円くらいしたけれど買い替えてよかった。もう絶対にタンポンやナプキンには戻れない。

 

⏬ご参考までに私のレポ記事⏬

www.yamama48.com

 

1月21日(日)ふつうの時間が幸せだと言えること自体が幸せ

午後から雨が止むと言っていたのに、全然やまない。

少なくとも午前中は家でダラダラ過ごそうと思っていたので、家事には励まず、パジャマのまま娘と遊んだり。

551の肉まんを蒸して昼食。娘にもわける。肉だけ残される。相変わらず「逆・長嶋茂雄」……。

こういう時間こそ幸せだと思う。

わざわざ混んだところに出かけるより、こういう時間をゆっくり過ごすほうが私は好き。

でもそんなことを言えるのも、平日娘とたっぷり一緒にいられるからだとも思う。

土日しかないのであれば、その時間にぎゅっといろんなことを詰め込んで、楽しむためにテーマパークにだってイベントにだって連れて行くことにもなろう。

肉まんを食べながら「こういう時間がスキ」などと呑気なことを言っていられること自体が幸せなのだ。

謙虚に認識していないと、ただの浮世離れ高齢育児主婦になってしまう。

 

午後、小雨になったので娘の昼寝も兼ねてベビーカー散歩へ。

結局寝なかったので意味がなかった。

それでも、雨上がりの道を娘が「歩きたい」と言い、親子3人で手を繋いで歩けたのは無駄な時間ではなかったと思う。