6月19日(月)
娘、一時保育で保育園へ。
教育熱心なママ友さんが「いまはとにかく英語をインプットするのが大事」と言っていて、自宅では英語のアニメなどを流しているとのこと。
私は英語や海外に興味がなく、「英語なんて話せるやつに任せておけばよい、興味のないものを学習する時間がもったいない」という持論のもとで大人になってしまった。
令和以降の世はそれではダメなのかもしれない。英語が話せて当たり前なのかもしれない。
ちょっとした焦燥感を覚え、我が家でも英語の曲を流すことにした。
「Alexa、子ども向けの英語の曲をかけて」
流れてきたのはディズニー映画『アラジン』のテーマソング。
羽賀研二のことで頭がいっぱいになった。
誠意大将軍って、英語でなんと言うんだろうか。
6月20日(火)
知育教室の体験レッスンを受けに行ってしまった。
私自身が七田式などに通ってみたかったのだ。
だから娘にも、なんらかの知育系の習いごとをやらせてみたかった。財布は夫のなんだけど(承諾は得ている)。
自分がやりたかったのにできなかったことを子どもに託すと「毒親」と罵られるルートが待っている気がする。
でも知育教室なんて子どもがいなければ目の当たりにできない光景のひとつ。社会科見学気分で覗かせてもらったっていいじゃないか。
教室のなかでは、手先を使うパズルのようなもので遊んだり、お買い物ごっこを楽しんだり、すべり台やトンネルで足腰を鍛えたり。
じっと待つ、話を聞くといったことが難しい娘にとっては、なかなかハイレベルなプログラムだった。
片付けのタイミングでおもちゃを手放せず、泣きわめくこと数回。
「お嬢さんは初回なんだから当然ですよ、気にしないで」と声をかけてもらっても、なかなか、堪えるものがある。
気づけば「私の育て方がいけないのだ」「自分のことばかりでなくもっと娘のことに注力しなければならないのだ」と自分を責めていた。
50分の授業ののち、ひどく疲れていたので帰宅してホームランバーを食べる。
当たりが出たら、ホームランバー型の抱きまくらがもらえるらしい。いらない。
食べ終えた棒はハズレだった。よかった。これもまた相思相愛。
6月21日(水)
1歳4ヶ月の娘の自我がメキメキと育っており、なんでもかんでも触ってみたいし、自分のものにしたいらしい。
そして、いらないと判断したものは全身で拒否する。
これで困るのが日々の食事である。食べたいものはずっと食べたいし、いらないもの(炭水化物以外ほぼすべて)は断固拒否。
水分補給も「自分で、自分のやりたいように」でないと難しい。飲ませようとすると仰け反って嫌がられてしまう。
「自分のやりたいように」を受け入れるように努めているものの、待っているのは「少し飲んだらあとは全部こぼす」儀式である。
こぼされてもがっかりしないよう、水分は麦茶でなく湯冷まし(こぼされてもシミができない)にして、コップの中の水もごく少量にしているものの、それでも堪える。
電車やバスの移動はベビーカーで身動きが取れない(=自由がない)ため、大変に機嫌を損ねてしまう。とにかく泣く。
叩いてしまうんじゃないか、蹴ってしまうんじゃないかというギリギリの気持ちだった。疲れた。
夫も超激務なので助けを求めづらい。
6月22日(木)
体力以上に精神力がまずいことになっている。
食事介助中、スプーンを投げつけられて服が汚れ、着替える羽目に。
投げつけられた瞬間、頭を叩いてしまった。
食事介助がいまいちばん、私にとって「やばい」瞬間と隣り合わせだと感じ、リモートワーク中の夫に対応を依頼してみるも、やはり時間調整は厳しそう。あたりまえ。
育児と家事が私の仕事。
そのうえ本日は家事放棄。育児からも逃げ出したくなっている。
これでは労働の義務を果たせていない。つらい。
6月23日(金)
午前中は幼稚園見学。
相変わらず気持ちがトゲトゲしていたので不安だったが、予約してしまっていたのだから仕方ない。
園長先生がとても穏やかそうな方で、少しお話ししたら癒やされてしまった。
やはり品のある人はせかせかしていないな、と思う。
映画にせよマンガにせよ、チマチマ、カリカリ、頭から湯気を出しながら動いているのはたいてい小物だ。
私もひとつひとつの所作をゆったり丁寧に行いたいのだが、どうにもせっかち癖が治らない。いつまでも小物。小物人生、はや40年弱。
午後はベビーシッターさんに来てもらい、2時間ほどファミレスに行く。
けしておいしくはないランチであっても、自分のペースで咀嚼でき、ドリンクバーで好きなものを注げるなんて、その環境だけでごちそうだ。
長らく着手できずにいた校正の勉強をする。それなりに捗った。
驚いたのは、帰宅後に気持ちがぐっと楽であったこと。
娘はかわいいし大切だけれど、「四六時中いっしょにいられるからしあわせ」というわけではないのだなあ。
睡眠時間を増やしてもラクにならなかったのは、寝ている時間もすぐとなりに娘がいたからではないか、と思う。
姿が見えるところにいると、やっぱり、自分のなかでなにかスイッチが入るようで、それがジリジリと精神力を消耗させるらしい。
「私は働いていないのに」とか「お金を節約しなきゃいけないのに」などと考えず、罪悪感なく堂々と「ひとりタイムの捻出」に投資するべきだと思えた。
6月24日(土)
昨日、気持ちがちょっと元気なうちにママ友さんに連絡し、子どもを夫に託して飲みにでも行かないかと誘ってみた。
ありがたいことに快諾いただき、夕方から近所の気になる飲食店に行けることに。
その時間まではがんばらねばならない。
ひとりでは絶対にまずいことになると思い、子ども家庭支援センターへ。
5月からランチルームが開放されたため、周囲の目があり、かつ清潔な環境で子どもに昼食を取らせることができる。これは本当にありがたい。
ランチタイムまでは遊戯スペースで遊ぶ。
欧米圏の方と思われる親子がやってきて、本当に日本語が話せない様子。気が合うね、私も英語が話せないのよ。
しかしそれがなんだ。すかさずスマホでGoogle翻訳。
スマホを出した途端、ベテラン職員さんから「この施設ではスマホ使用は原則禁止で……」と声をかけられる。そんなことは知っている。臨機応変の4文字はあなたの辞書にないのか!!!
静止する声を「わかってます、わかってるんですけどね~」と返しながら、イギリス人(これは出川イングリッシュでなんとか聞き出せた)ママさんに質問する。
こんなときにさ、大人相手にさ、いつも子どもがダダをこねたときに使っている「わかってるよ~、わかってるんだけどね~」という謎の返しが役立つとは思わなかったよ、なあ。
Google翻訳パワーでいろいろ訪ねてみると、来日してまだ2週間ほどというではありませんか。
ご主人のお仕事の都合だそう。幼い子どもを連れての引っ越し、新生活はどれだけ心細いだろう。
お子さんはしっかりしていたけれどまだ0歳。
人見知りせず、初対面のアジアおばさん(私)にも積極的に顔を向けて笑顔も見せてくれた。
人間の生存本能がそうさせるんだろうか。なんとたくましいことだろう。お母さんも含め。
待ちに待ったママ友会は、あまりの楽しさに時間が一瞬で過ぎ去ってしまった。
家やたまの外食時にビール1缶ぶんくらいは飲むものの、それをおかわりすることなんてほとんどなかった。それを3杯! たのしい会話は最高の肴だな。
話を聞いてみればみんなも本当にたいへん。
私以外はみんな保育園組なので、発熱対応などに骨が折れたそうである。
夫のサポートが得られにくいママもいたし、義理のお母さんがかなり面倒くさそうなママもいた。
私がこのひとたちに会いたくなったのは、大変そうだけれどまったくもって悲劇のヒロインぶらないから。
「私、こんなにかわいそうなの」という圧を感じさせる人も多々いる(私自身はそのクチだと思う)が、こういうたくましいお母さんたちに会うと素直に元気が出る。
「みんな、大変なのにがんばっているんだ」。
これは自分のなかで湧いてくる言葉だからこそ効果があるものだと思う。
他人に説教され、諭され、自分に言い聞かせても意味がない。
「みんな大変なんだから」「不自由なく暮らせているんだから」「素敵な家族がいるんだから」といった言葉とともに励まされることがちょこちょこあるが、他人から押し付けられるこの切り口は、本当に響かない。
「みんな大変」の「大変」は十人十色で比べようがないことをおまえたちは知っているのか?
彼らは離婚しようか悩んでいる人に、「結婚したくてたまらない人だっているんだから」と言うのだろうか。
6月25日(日)
びっくり、完全に二日酔い。
お酒3杯と日本酒1合を3人で分けて飲んだだけなのに。
もともと酒に強い体質ではないが、とんでもない頭痛にゾッとした。産前産後でこんなに変わるとは……。
午前中はダラダラして、夫と子どもに公園に行ってもらい、少し横になる。
帰宅したらシャワーに入ってもらい、きれいになった矢先に申し訳ないながらも、便秘体質の娘に座薬投入。
ためたものをなんとか出して、疲れてそのまま昼寝に突入してくれた。
その時間のうちにいろいろやってしまいたいのだけれど、身体が動かない。子どもと一緒に昼寝。
子どもが起きたのち、かねてより買い替えを希望していた冷蔵庫を見に秋葉原のヨドバシへ行く。
大変よい店員さん(メーカーではなくヨドバシの店員さん)に出会い、我が家の事情に合わせた明快な提案をいただく。
その場で即決。来週末にNEW冷蔵庫が届く。
これからは冷凍ストックがたくさんできるぞ、うれしい。